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矢尾定へおこしやす~近代〜戦後の変化~

皆さんこんにちは!

矢尾定の更新担当の中西です。

 

~近代〜戦後の変化~

 

仕出し・京料理屋の歴史は、伝統のまま止まっているわけではありません。
むしろ京都の料理屋は、時代の変化に合わせて形を変えながら「はれの日の価値」を守ってきました。近代化、戦争、戦後復興、高度経済成長…。社会が大きく揺れ動く中で、仕出しはどのように変化し、どのように生き残ってきたのか。今回はその歩みを追います。✨


1. 近代化で広がった「外食」と「宴席」

交通網や都市機能が整うにつれ、宴席文化が広がります。
料亭や料理屋が発展し、芸舞妓文化や座敷遊びも含めて、京都の“もてなし”は洗練されていきました。
しかし、すべての宴席が店でできるわけではありません。
町家の座敷、寺社の集まり、企業の会合…。そうした場で「店の味を持ち込む」仕出しは重要な役割を担い続けました。


2. 戦中・戦後――制約の中で守った技術と心

戦時下や戦後の混乱期には、食材の入手が難しく、贅沢な料理は困難になります。
それでも京都の料理屋は、出汁、炊き方、盛り付け、器の扱いなど、技術と文化を守り続けました。
豪華さがなくても、

  • 季節の香り

  • 丁寧な仕事

  • もてなしの心
    は失われない。ここに京料理の強さがあります。✨

仕出しもまた、限られた材料で工夫し、地域の行事や法事を支えました。
「食が場を整える」という価値は、苦しい時代ほど必要だったのかもしれません。


3. 高度経済成長――企業需要と慶弔需要の拡大

生活が豊かになると、宴会・会合・慶事が増えます。
企業の接待、地域の集まり、結婚式、法事…。
この時代、仕出しは量も増え、より体系化されていきました。

  • 注文から納品までの標準化

  • メニューの幅拡大(会席風、幕の内、松花堂など)

  • 保温・保冷の道具の進化

  • 車での配達が一般化

そして、仕出しは家庭の負担を減らす存在として浸透し、「特別な日には料理屋に頼む」という文化が根付いていきます。✨


4. 「松花堂弁当」が象徴する仕出しの美学

仕出し文化を語る上で欠かせないのが、仕切りのある弁当文化です。
松花堂弁当のように、区画で料理を分けることで、

  • 味が混ざらない

  • 見た目が整う

  • 食べる順序が作れる

  • 量の調整がしやすい
    といったメリットがあり、仕出しの合理性と美学が合体しました。✨

京都では、こうした弁当様式にも「季節」と「格」が反映され、器や包みまで含めて“文化のパッケージ”として仕出しが進化していきます。


5. 家庭環境の変化――仕出しが担う「家の行事」

戦後、核家族化が進むにつれ、家庭で大量の料理を作るのが難しくなります。
親戚の集まり、法事、祝い事…。
料理を作れる人手が減るほど、仕出しの価値は上がります。
「家の行事を成立させる」役割を、仕出し・京料理屋が担うようになったのです。✨


仕出しは時代の波の中で“形を変えながら残った”

近代化で宴席が増え、戦中戦後で制約を受け、それでも技術と心を守り、高度経済成長で需要が広がった。
仕出しは、京都の暮らしの変化とともに形を変えながら、核心である「はれの日を整える力」を守ってきました。✨

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