
京都では、お客様をもてなす時、家庭料理を出さないのがあたりまえです。
他のことには大変手間ひまをかける京都人が、お客様に出す料理は仕出し屋さんから取り寄せるのです。京都人の不思議なところだと思われるかもしれません。
では、その理由をお話ししましよう。他所の地方では、奥様が心を込めてその腕をふるわれ、あたたかい家庭料理を出すことがお客様に対する最高のおもてなしだと考えられていると思います。
しかし、奥様方には誠に申しわけありませんが、家庭料理はいくら手を加え、いかに吟味してつくっても所詮は素人の味です。大切なお客様にはやはりプロの手にかかつたものをお出しするのが、本当の意味でのおもてなしになるのです。
不意のお客様でその準備が出来ていない時には、簡単にお寿司とお吸物だけをお出しすることもありますが、必ずプロの作った物を召し上がっていただくのが礼儀だと京都人は考えているのです。
家庭料理には、その家その家の味があります。それはそれで、とてもすばらしいことです。しかしだからといって、どなたの口にも合うわけではありません。仕出し屋さんなりのプロの味つけは、万人向けに研究研鑽され、つくり出されたものです。もし万が一、それがその人の口に合わなくて食べ残したとしても決して失礼にはなりませんし、料理を出した方も出された方も、気分よく気楽に食べられる利点もあるのです。
「おもてなしの料理は仕出し屋さんから」。これも京都の暮らしの知恵と言えるでしょう。こんな京都の習慣が定着したのも、京都には多くの仕出し屋さんがあったからだと思いますし、またこの習慣が多くの仕出し屋さんを生み育てたのだとも思います。

日本の国は四万を海で囲まれ、温暖な気候に恵まれています。そのために豊かな海産物を産み、素晴らしい日本料理が出来上がつた基盤ともなっています。
京都は周りを山に囲まれた盆地で、土壌が良質で水にも恵まれ、これまで大変質の高い野菜を収穫してきました。
一千年もの間都であった京都は、常に「本物」や「一級品」に接する機会を多く持ち得た恵まれた土地柄でもありました。つまり、より良い物を追求する姿勢が偽物や、まやかしを排除し、余分な物を淘汰する原動力となったのでした。
京料理は、野菜や乾物類、大豆加工食品等を中心とした料理で、特徴とされる薄味も、良い素材にはなるべく手をかけない禅宗思想から生まれた物でした。
京都の近郊で素晴らしい素材が得られたからこそ、成し得た薄味ということもいえるのでしょう。

松花堂弁当(しょうかどうべんとう)は、中に十字形の仕切りがあり、縁の高いかぶせ蓋のある弁当箱を用いた弁当。
仕切りのそれぞれに刺身、焼き物、煮物、飯などを見栄え良く配置されています。盛り分様式としては、ごはんと数種類のおかずを組み合わせたものであり、幕の内弁当に似ているとも言え、しばしば混同もみられます。
しかし源流は、幕の内弁当が本膳料理の流れを汲む江戸時代に遡るものであるのに対し、松花堂弁当は懐石料理(茶料理)の流れを汲み昭和になってから誕生した様式であり、歴史は大きく異なります。
「松花堂」の名は、江戸時代初期の石清水八幡宮(京都府八幡市)の社僧であった松花堂昭乗(1584年 - 1639年)に因むもの。
昭乗は、農家が種入れとして使っていた器をヒントにこの形の器を作り、絵具箱や煙草盆として使用していました。 その入れ物が松花堂弁当に発展したのは、それから数百年たってからです。
昭和の始め(昭和8年(1933年)頃とされている)、代々式部卿を務めた貴志宮家の大阪(桜宮)邸内の茶室「松花堂」で茶事が催された折、日本屈指の名料亭である大阪の「吉兆」の創始者である湯木貞一が、貴志家の当主、貴志奈良二郎(二代貴志泉松庵)よりこの器で茶懐石の弁当をつくるようにと命じられ、後にその事が話題となり、松花堂弁当の名が広まりました。
十字形の仕切りがあることで、見た目が美しいだけでなく、互いに味や匂いが移らないと考えたためです。湯木は、当時他家から松花堂弁当の依頼を受けると、その都度貴志家への挨拶を怠らなかったといいます。

十年余り前から、十数名のグループで情報交換というか、遊び心で続いてきた「京町家・暮らしの意匠会議」(会の名前はえらい大層ですけど)に、最近マスコミの手が伸びてきて(魔の手のように言うて、かんにん)、雑誌やテレビなどにも数度引き出され、ご先祖はんが聞かはったら「何と恥さらしのことして……」と怒られそうなとこまで、ついつい見せたりして参りました。
その一つが、今回NHKの「ためしてガッテン」の中で採り上げられた「始末心」を念頭においた京町家の献立の話です。
御馳走はハレの日の楽しみ。お一日(ついたち)と十五日は小豆御飯とおなます。
際(きわ)の日はおからやあらめの炊いたんという決まり料理。
そして、常の日こそは主婦の腕の見せどころで、頂きもんや残りもんの始末をしながら、日々目先を変えたおかずを食卓に出すという、言ってみれば、しり取りゲームの献立法です。
残ったカレーの具はカレー炒飯にして使い切り、ルーには牛乳と卵を足してスープを。肉じゃがの残りは卵で巻いてオムレツに。
少しずつ残ってしもた肉や魚介類は、あり合わせの野菜とパテ風にまとめて焼けば、まるで焼売(シュウマイ)。揚げればかき揚げの出来上がり。
鯛の煮物は切り身より「アラ」の方がほんまは美味しいし、残った煮汁の煮こごりも棄て難く、これで炊いた屑野菜入りのおからは常備菜として重宝。
常備菜といえば、上等のお茶殻はほかさんと冷凍庫で貯めて、ちりめんじゃこと一緒に煎り煮したらカテキン豊富な佃煮一丁上がり。
それでもまだ少しずつ残ってしもたおかずは、人数分に少しずつ切り分け、クラッカーの上にのせるも良し、大皿に彩りよく盛り付けるも良し、お猪口などの小鉢に取り分けてトッピングで飾って味に変化をつけるも良し、最後に冷蔵庫はすっきりして良し。
この残菜皿デーは、主婦にとってはめでたしめでたしの日。しり取りゲーム一巻の終わり― 献立一例の話です。
路地もんの苺やトマト、胡瓜が出始める頃になると、朝早ように加茂のおばさんが葉付大根や莢豆やらも一緒に車に積んで売りに来はります。
おだいは白いとこより青々と立派な葉のほうが食べでがあるみたいと、葉飯や葉と茎のお漬けもんにし、皮もきんぴらにして、白い先のしっぽの辛いとこはおろしてチューブ入りの山葵で色付けしたら、ほんまの山葵おろしが出来た! 大根一本捨てるとこなし。
このように、お金も労力も時間も節約した、ケチでずぼらな工夫は、京の町家暮らしでは昔からどこの家でも大なり小なり当たり前に、つつましく、ひっそりとやって参りましたものを、今回NHKでは「出るゴミは少なく、食費は一ヶ月一万円節約出来る、始末で豊かな京のお番菜」と、えらい格上げして放映していただき、気づつない結果となった次第です。
おまけにこの献立のお番菜を雑誌でも紹介したいということで、このたび意匠会議の友人と一緒に東京のスタジオまで、二十品ほど作りに行って参りました。
「こんな献立のレシピくらいで、経費使こてもうて、何や悪おすなあ」「世の中えらい変わりましたなあ」。このたびもまた気づつない思いをしながら、そして今の世相を案じながら、けれど、こんな細やかな始末心でも町家暮らしのなかから発信できたのは大変うれしいことでもありました。
たとえ僅かな人数でも次世代の人たちが現在の物心共に多忙で無駄の多いゴミだらけの生活を見直してくれはるきっかけになればと、今までの戸惑いが少し前向きの気持ちに変わりました。
町家暮らしのなかには、こうして見れば、衣や住の面でも先人の知恵がいっぱい詰まっています。
町家に暮らさせていただいている者は、この知恵を死蔵せずに、機会あるごとに発信する努めがあるのではないかとも思えてきました。
またこれからも意匠会議の皆様とともに、いろいろとアイデアを出し合って、楽しんで暮らしていきたいと思っています。
ねぎは、京の食卓には、欠かせない野菜です。歴史は極めて古く、今から千三百年ほど前に栽培され始めました。
京都市南区の九条辺りで多く栽培されていたのが名前の由来。関東のねぎは白ねぎですが、九条ねぎは青ねぎ。白い部分だけでなく、青い部分も食べることが出来ます。この青い葉にカロチンやビタミンCが多く含まれています。
食欲増進、疲労回復、強壮作用だけでなく、風邪にも効くといわれ、 京都ではねぎを焼くと邪気をはらって早く治せるとも伝えられています。
美味しい季節は、冬霜が降りるとやわらかくなり、葉の内側には、ぬめりが多くなって 旨味が増します。
やわらかくて甘味がある一方、香りが強く辛味で味を引き立てるといった、優しさと 強さを同時に感じさせてくれる食材です。

きゅうりの切り口が、祇園さん(八坂神社)の紋にどことなく似ていることから、その紋を食べてしまうのはあまりにももったいないと、京都では、祇園祭(八坂神社のお祭り)の間はきゅうりを食べないのです。
他の地方の人は、祇園祭といえば二、三日ぐらいの間と思っておられるかもしれませんが、祇園祭というのは随分長い期間にわたるお祭りでおよそ一ケ月ほどあります。この間、特にきゅうりのおいしい時期に食しないのですから、結構大変なことなのです。
京都ではシンボリックな紋というものに対して敬う気持ちが非常に強く、大事にしているのです。
京都では、広蓋とか袱紗とか風呂敷に、しっかりとご自分の家の紋が入っており、そのように代々残して伝えていくものがあるからかもしれません。そして、それはただの装飾品ではなく、日常生活の中で、事あるごとに使用するものでもあるのです。
日々の生活の中でつちかわれてきた、紋というものを重たく思い入れる心が、きゅうりを食しないことにつながっているのです。
もともと、紋はお公家さんが使っていた輿や牛車につけられたことがはじまりであると伝えられています。平安時代、御所や鴨川べりにならんだ輿や牛車は、まるで紋の品評会だったと想像されます。
このように、家紋発祥の地である京都には、紋に関するしきたりがあり、儀式作法には必ずと言っていいほど登場します。
京都人は自分の家の紋を知っているのがあたりまえであり、また、その紋には男紋と女紋があるのです。こんなこと自体が、他所の地方から見れば不思議この上ないと思います。
京都は紋=シンボル(象徴)を敬い、大切にする地なのです。

ぐじは京都の食文化の一つです。
鱧(はも)と同様に京都の人には、大変好まれています。
京料理で伝統的に用いられてきたものは、若狭の海でとれたひと塩の「若狭ぐじ」で美しいピンク色の赤甘鯛です。
ぐじは、しっとりやわらかく甘味があり、上品で淡白な味わいです。
分の多い身に塩をふることで水気が抜けて、身が締まり、甘味も増し、まさにはんなりとした味になります。
ほどよく脂があり、旨味があり、熱が加わると、身がコロリとした風合いになります。 ぐじがこんがりときつね色に焼けた一匹ものの焼き物は、実に立派です。しっとりとして、旨味が充満し、極上の上品さをもつ味わいです。

京都で古くから伝わる塩干しもののひとつ。
やなぎむしがれいのことで、笹の葉のように細長いことから地元では、笹がれいと呼ばれ、かれいのなかでも最高級品。
毎年、宮内庁に献上されていました。
薄塩の生干しは絶品で、焼くとジワーっと甘味が出て、旨味たっぷり。
昔、若狭湾でとれた鯖をひと塩して、約70キロ先の京の都に運んでいました。
丸1日かかって着いた頃には塩がいい具合にまわって、生ものとは違った旨味を含んでいました。
このように鯖など様々な魚を運んだ道は五つあり、鯖街道と呼ばれていました。
起点の小浜市内のいずみ町商店街では、今も魚屋が並び、美味しい魚がたくさん売られています。

〒615-0073 京都市右京区山ノ内荒木町7番地38
TEL 075-882-2385 FAX 075-882-8968